
北区 探偵メモ
探偵からみた北区
大好評! 探偵の体験談。
北区ってどんなところ?
北区(きたく)とは、東京都の区部北部に位置する特別区であり、細長い形状をしているのが特徴的です。面積は東京23区内で11番目。
1932年(昭和7年)の10月に東京府北豊島郡岩淵町・王子町・滝野川町が東京市に編入され、1943年(昭和18年)の7月には東京都制施行により東京都王子区・滝野川区となりました。
そして1947年(昭和22年)の3月15日、王子区・滝野川区が合併し北区が発足。
当初、区名の候補として「城北区」や「京北区」、「桜区」、「紅葉区」などが挙げられており、中でも「飛鳥山区」は有力でした。
ですが、難解な読みであるとことを理由に議論が交わされ、最終的に簡潔な方角地名である「北区」となったのです。
北区には明治通り、環七通り、環八通りなどの主要な幹線道路がいくつも走っているのも特徴であり、都心へのアクセスが便利なことも人気の理由の一つ。
では、もう少し詳しく北区を見ていきましょう。
北区の駅・大学一覧

駅一覧
赤羽岩淵(埼玉高速鉄道線・南北線)・赤羽(東北本線・宇都宮線・埼京線・京浜東北線・湘南新宿ライン・高崎線)・飛鳥山・浮間舟渡・王子(京浜東北線・南北線)・王子駅前・王子神谷・尾久(東北本線・宇都宮線・高崎線)・梶原・上中里・北赤羽・栄町・志茂・十条・滝野川一丁目・田端(山手線・京浜東北線)・西ヶ原・西ヶ原四丁目・東十条・板橋
北区はJRの駅数が23区の中でもっとも多く、10駅もあります。そのため、ほとんどの住宅街から駅までは徒歩圏内にあるそう。
区の北部にある赤羽駅はJRが4路線乗り入れているため、通勤通学時には特に賑わっている駅ですね。北区の主要駅と言ってもいいでしょう。
大学一覧
東京成徳大学・東京福祉大学・東洋大学
東洋大学の本校は文京区にあり、北区の赤羽台キャンパスの他にも、埼玉県の川越や朝霞にキャンパスがあります。
この東洋大学では、文学部や経済学部、社会学研究科など多岐に渡る学部や研究科が設置されているのですが、現在の大学では珍しく夜間学部の設置に力を入れています。
他大学では次々に夜間学部が閉鎖されていく中で、東洋大学は率先して夜間学部の新規設置を進めているのです。
赤羽台キャンパスの校舎はデザイン性も高いので、ぜひ見てみてくださいね。赤羽駅の西口を出て徒歩8分で着きますよ。
北区のおすすめイベント&スポット

それでは、北区にあるおすすめのスポットを見ていきましょう。
飛鳥山公園
飛鳥山公園(あすかやまこうえん)は北区にある区立公園であり、桜の名所の一つとしても有名ですね。
この飛鳥山公園の始まりは、江戸時代にまで遡ります。
江戸幕府の8代将軍である徳川吉宗が享保の改革の一つとして整備し造成を行った公園で、1873年(明治6年)には日本最初の公園の一つとしても指定されました。
当時の江戸近辺には花見を楽しめる場所が少なく、唯一花見のできた寛永寺には人が殺到し、治安や風紀の乱れが問題に。
そこで庶民でも安心して花見ができるようにと解放されたのが、この飛鳥山公園です。
1720年から翌年の1721年にかけて約1270本の桜が植えられ、現在でもソメイヨシノを中心とした桜の木がおよそ650本も植えられており、春には鮮やかな桜が見る人を楽しませてくれています。
公園内には石碑や銅像も多く、なんと古墳群もここで見られますよ。
飛鳥山古墳群は1989(平成元年)と1991年(平成3年)に発掘調査が実施され、円墳5基以上で構成されている事が分かりました。
1号墳は直径31メートルの大きさで、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀初頭に造られたと推定されているとのこと。興味深いですよね。
そして、北区の歴史がわかる「北区飛鳥山博物館」、紙専門の博物館である「紙の博物館」、渋沢栄一の関連資料を展示している「渋沢資料館」…なんと公園内には3つも博物館があるのです。
旧渋沢家飛鳥山邸も公園内に位置しており、晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)の建物は、国の重要文化財に指定されています。
見どころしかない飛鳥山公園までは、JR京浜東北線の王子駅、中央口か南口から出れば徒歩すぐで着きますよ。
東京さくらトラム(都電荒川線)の飛鳥山駅、王子駅前駅からも徒歩すぐです。
駐車場もあるので小さいお子様連れでも安心して遊びに行けますね。
公園は常時開放。園内は自由に散策可能ですが、博物館などは別途観覧料がかかるので、休館日なども合わせて調べてから行きましょう。
十条銀座商店街
ゆるキャラの「キタニャン」がシンボルの十条銀座商店街は、加盟店が173店舗もある大きな商店街です。
明治30年代の後半にお店ができ始め、1938年(昭和13年)に「東京十条銀座商店街商業組合」として組合が設立。
商店街の全長はなんと375m。この商店街の突き当りは、道を隔ててすぐに十条富士見銀座商店街に繋がっています。
この商店街にはさまざまなお店が軒を連ね、食事やスイーツ店はもちろん、洋服や文房具店、旅行代理店などもあるので、ここに来れば大体の用事を済ませることができますね。
また、趣向を凝らしたイベントも数多く開催されています。大喜利コンテストや福引セール、100円or500円でお買い物ができるワンコイン市も毎回大盛況。
立地としても抜群で、JR埼京線の十条駅北口から下車後、わずか徒歩30秒で商店街の入り口にたどり着きます。
お得な情報や、イベントの日程などは公式ホームページに載っていますので要チェック。可愛いゆるキャラ、キタニャンの姿もホームページで見ることができますよ。
…このキタニャン、お人よしの甘えん坊で、身長は180センチらしいです。でかい。
旧古河庭園
旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)とは、北区の西ケ原にある都立庭園であり、1919年(大正8年)に古河財閥の古河虎之助男爵の邸宅として洋館(大谷美術館)、西洋庭園、日本庭園に整えられました。
武蔵野台地の斜面などを活かした造りで、小高い丘には洋館、美しいバラが見えやすいようにと斜面には洋風庭園、そして低地には平らな地形を利用した日本庭園が広がっています。
現在の旧古河庭園は国有財産であり、国から東京都が借り受ける形で1956年(昭和31年)の4月より開園、一般公開が始まりました。
旧古河庭園はバラの名所として、また、現存する庭園の中でも極めて良好な保存状態であることが数少ない事例とされ、文化財保護法により2006年(平成18年)に国の名勝にも指定されています。
春バラの見頃は5月頃、秋バラの見頃は10月頃で、その時期に合わせてイベントも開催されますよ。洋館とバラの相性は抜群で、人気の写真スポットにもなっています。
石造りの洋館である「大谷美術館」と西洋庭園は、多くの建築物を手掛けたジョサイアン・コンドル氏の設計。
中に入ると一階がすべて洋室、そして二階は寝室を除きすべて和室となっている珍しい設計となっており、これがこの洋館の大きな特色です。
洋館に入るには別途入館料が必要にはなりますが、歴史とこだわりを感じる建築物は一見の価値ありですよ。大谷美術館の詳細はホームページをチェックしましょう。
旧古河庭園の開園時間は午前9時~午後5時、最終入園は午後4時30分まで。休園日は年末年始(12月29日~翌年1月1日まで)です。
入園料は一般が150円、65歳以上は470円。小学生以下、及び都内在住・在学の中学生は無料も嬉しいですね。さらにみどりの日(5月4日)、都民の日(10月1日)は無料で公開されますよ。
バラの名所である旧古河庭園までは、JR京浜東北線の上中里駅で下車し徒歩7分で到着。 駐車場はないので、公共交通機関を利用すると便利です。
篠原演芸場
篠原演芸場(しのはらえんげいじょう)とは、北区の中十条にある大衆演劇の劇場で1951年(昭和26年)に開業しました。
大衆演劇協会に所属している劇団と、関西や九州所属の劇団が芝居・歌謡ショーを月替わりで交代し行うことで観客を飽きさせない構成になっています。
1998年(平成10年)には、劇場前の中央商店街の通りが「演芸場通り」という名前に変更されました。地域に根付く下町演芸場であることがわかりますね。
この劇場でも公演されている大衆演劇は明治初期が起源とされており、時代劇や人情喜劇などを中心とした演目で全国を巡業公演する演劇の事。
舞台の構成は、主にお芝居や舞踊ショー等。篠原演芸場の演目は日替わりで飽きない工夫がされています。劇中に登場する可憐な女形や端正な男形、花魁なども注目の的。
同じ名作でも劇団ごとに演出が違ったり、各劇団が書き下ろす新作が観られたり、いつ行っても違う作品に出合えるのも楽しみの一つ。
また観客と舞台が近いのも演芸場の特徴で、観客の反応が役者からも見えるため拍手や掛け声などがしっかり聞こえるそう。つい応援したくなりますよね。
そして意外にも入場料はリーズナブル。大人は当日2,100円、小人(4才~小学生)1,000円、前売券は1,800円。映画とほぼ変わらない料金なので、初めての方でも気軽に足を運べますよ。
開園時間は曜日により異なり、平日は原則18時からの夜公演のみで、土曜・日曜・祝日は昼の部も開演しています。劇場内で販売している名物の手作りおにぎりは、ぜひ食べてみたい一品。
観る人を楽しませ魅了してくれる篠原演芸場までは、JR十条駅、または東十条駅より徒歩3分です。
王子神社
王子神社(おうじじんじゃ)は北区の王子本町にある神社で、旧称は王子権現。この一帯の「王子」という地名は、この神社が由来です。
・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
・伊邪那美命(いざなみのみこと)
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
・速玉之男命(はやたまのおのみこと)
・事解之男命(ことさかのおのみこと)
御祭神は以上の五柱で、総称は王子大神。紀州(和歌山県)の熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称です。御神徳は開運除災・子育大願で、古来より多くの人が参拝に訪れています。
王子神社の創建年月日は不詳ですが、源義家が奥州征伐のおりに当地で金輪仏頂を修法し、凱旋の日に甲冑を奉納したという故事が伝えられています。
その後、1322年(元亨2年)には領主の豊島氏が紀州(和歌山県)の熊野三社より王子大神をお迎えし「若一王子宮」と奉斉。
ここから景観を整えましたが、19455年(昭和20年)の太平洋戦争で社殿のほとんどを焼失。ですが、奇跡的に一本だけイチョウの木が残りました。この木は樹齢600年とも言われ、現在は東京都の天然記念物にも指定されています。
そして戦後の1964年(昭和39年)、1982年(昭和57年)の二回の造営を経てようやく社殿を再建し、現在に至るのです。
令和4年(2022年)には豊島氏による創建から700年を記念する祭りが催され、田楽舞が奉納されました。毎年8月の例大祭でも奉納される田楽舞は、北区の無形民俗文化財にも指定されています。
また王子神社の敷地内にある末社の関神社は「髪の祖神」、また「音曲諸芸道の祖神」として知られており、主祭神は蝉丸公(神霊)、逆髪姫(神霊)、古屋美女(神霊)です。
では、なぜ関神社が「髪の祖神」と呼ばれるようになったのか、由来をご存じでしょうか?
蝉丸公は延喜帝の第四皇子であり、髪の毛が逆髪で悲しむ姉君「逆髪姫」のため、侍女である「古屋美女」に命じ「かもじ・かつら」を考案。そのかつらを使い髪を整える工夫をしたと伝えられています。
戦災で社殿が焼失し再建する際にも、その費用は全国各地のかもじ、かつら、舞踊、芸能、床山、美容師関係者、演劇からの寄付で賄われたのです。
この関神社では髪に関する職業の報恩や、薄毛に対するご利益、他にも武芸上達のご利益もあります。
奇跡のイチョウが見られる王子神社、その中にある関神社まではJR京浜東北線・東京メトロ南北線の王子駅から徒歩2分。または都電荒川線の王子駅前停留場から徒歩3分です。
探偵の思い出 北区編

只今準備中です。
期待してお待ちください!
成果が出ないときこそ、不安がらずに、恐れずに、迷わずに一歩一歩進めるかどうかが、成長の分岐点であると考えています。
日本のプロ将棋棋士であり、史上初の永世七冠を達成した羽生善治さんの名言です。
一歩踏み出す勇気こそが、成長への一歩かもしれません。
迷わず行けよ、行けばわかるさ!
てこと〜!
まとめ
大通りが通る北区は最新スポットばかり存在しているかと思う方もいるかもしれませんが、歴史のある建物や神社が数多く残っています。
演芸に関するお店も多く、テレビやスマホで観るだけでは分からない魅力を目や耳、肌で直接体感出来る場所ですね。
北区に足を運び、ぜひ体感してみてください。

お問い合わせ
お電話でのお問い合わせはこちら
TEL:03-6336-6790